もりとう農園

「おはようさん!」
日曜朝に恵比寿ガーデンプレイスに響くあいさつ。声の主は森藤重基(もりとうしげき)さん。
会津地方に伝わる日本古来の農法を用いた米作りが特徴の「もりとう農園」の店主であり、YEBISUマルシェの顔とも言える農家さんです。
50歳を過ぎての専業農家デビュー、最初のお客様が和の鉄人、道場六三郎…。彼の農業人生には、つい語りたくなる「物語」があふれています。ここではその一端をお伝えします。
出店すれば昼には完売が続出、会いにくるお客様は数知れず、今では押しも押されもしない人気農家。しかしその仕事人生は意外にも町役場から始まりました。
なんとなく安定してそう…、そんな軽い気持ちで高校卒業後すぐに役場務めを始めたにも関わらず、32年もの間、役場職員として勤務をしたのだとか。
行政出身とは聞いていたものの、想像以上に長い期間に驚きを隠せない私たちをよそに、「ちっちゃい町だったからね。ほんとになんでもやれて、なんでも自分の手で工夫できたんよ。地域対抗のマラソン大会。マラソンが弱いのが悔しいから、どうしたら強くなれるか研究して、学生たちと一緒に走ったりして、時には家で合宿なんかもやっちゃって」と、当時を懐かしみます。
土づくりから売り方まで、節々に見える地道な工夫は前職由来なのだと合点が入りました。
そんな森藤さんが専業農家に身を投じたのはちょうど50歳のとき。隣の市との合併で役場の雰囲気も大きく変わり、どこか社会の歯車になっているように感じていたある日、代々守ってきた田んぼを継いでくれないかとお父様から打診があったのだそう。
実家は明治から続く米農家。当然、子供のころから四季折々の手伝いをしてきました。そのため、米を作り届けることの尊さ、喜びは知ってはいましたが、同時にその苦労も知っていました。

今からあの苦労をし続けるのか?迷いに迷い、決断をしかねていたある日、娘さんから「東京で働く」と連絡を受けたのだそう。家族との時間を何よりも大事にしていた森藤さんとしては居ても立っても居られない気持ちでしたが、その時ふと妙案が降りてきました。「農家を継げば、販売や営業などで東京に行く口実ができるのではないか、娘に会えるのではないか」と。これをきっかけに専業農家となる決意をしたということです。
なんとも人間味溢れる、飾らない彼らしいエピソードで、思わず聞いている私たちも笑顔になりました。
悩み抜いた末に専業農家となった森藤さん。必ず成功する、という自信があったわけではありません。作ることと同じくらい、お米を売ることが難しいと知っていたからです。
公務員時代、仲間に誘われ東京の販売会に誘われたことがありました。美味しければ売れるだろうと軽い気持ちで参加したものの結果は惨敗。現実はそう甘くなく、「米は重いから持ち帰れない」、そんな都会の生の声を聞き、愕然とした経験があったのです。
そんな不安な気持ちを紛らわすよう必死で営業をする中、門をたたいたのは銀座の名店「久兵衛」。その際、偶然知り合ったのが和の鉄人、道場六三郎さんでした。サンプルを送ってほしいとの言葉に内心小躍りしつつも、最高の料理人の肥え切った目に叶うか、不安でいっぱいでした。しかし、その不安は杞憂に終わります。なんと2つ返事で採用が決まったのです!喜び、驚きと同時に、これまで先代が育んできた土地の素晴らしさ、そしてそこから生まれる「もりとうの米」のポテンシャルを思い知り、惚れこみました。
1kgなら問題なく買ってもらえる。そんな東京での売り方も身に着け、順調に営業を続ける森藤さんでしたが、次なる壁にぶつかりました。
ある日、馴染みの料亭の店主に、これよりも美味しい米を知っていると言われたのです。悔しくなり、どんなものかと食い下がったところ、出されたのは一膳の白米。怪訝に思いながらも一口食べて衝撃が走りました。口に入れた瞬間、甘みがじわっと広がるのは当然、飲み込むときのざらつきが一切なかったのです。まさに理想の食体験。自分が目指すべきは、超えなければならないのはこの米だと確信しました。
「もりとうの米」を自分の手でもっと良くしたい、進化させたい…。小さな町役場で磨いた改善魂に火がつきました。肥料、土地づくり、米作り、あらゆる要素に手を入れる、そんな探求の日々が始まったのです。
もっと米を美味しくする方法はないだろうか。あらゆる方法を探る中、東京の展示会で出会った発酵学の専門家にも相談しました。返ってきたのはそこはかとなく可能性を感じる「酒粕を使った土づくり」。直観を信じ、300年もの歴史のある福島の蔵元、有賀醸造の門をたたきました。
蔵元を口説き、譲っていただいた酒粕を丁寧に乾燥させ、米粒大にちぎり、田植え前に撒く。ほとんどが手作業という、想像以上に手間が掛かる方法でしたが、それを補って余りある成果が出ました。酒粕に含まれる良質な栄養素とミネラルは、土を豊かにし、生育過程で米のタンパク質とアミノ酸のバランスを整えたのです。そうやって育った新たな「もりとうの米」は、食味と光沢性が増し、真珠のような輝きを放つとともに、舌触りも大きく改善されたそうです。

実はこの酒粕を用いた土づくりは会津地方に伝わる伝統農法。江戸時代初期に記された日本最古の農書のひとつ「會津農書」にも記されている、酒どころ、米どころであった会津ならではの農法でした。最高の料理人に認められた「もりとうの土、米」を日本最古の農法で進化させたのです。
翌年、ダメだしをくれた店主に酒粕を利用して育てた米を食べてもらうと、「1年でこんなうまくしてきた農家さんは初めてだ!何をしたんだ!」と驚かれたのだそう。この話をする森藤さんはいつもよりも少しだけ誇らしげでした。
自然が相手の米作り。天候に左右されるのは仕方がないけれど、それでもその年にできる最高の味にしたい。そのため、土づくり、米づくりのやり方は今もまだまだ改良中なんだとか。酒粕の乾燥の程度や散布量…、まだまだうちの探求が終わることはないよ。そう笑顔を見せてくれました。

「飯だけは食わせてやるよ」そう言って何気なく始めた住み込み農業体験は、年々活気を増し、いつの間にか学校のよう。実習内容も充実しており、参加者は確かな農作業の知識と技術を学んで巣立っていきます。忘れがたい思い出にもなるようで、マルシェ会場には森藤さんを慕って訪ねてくる”卒業生”が後を絶ちません。「ゆくゆくは、農作業のみならず、自分が苦労してきた直販の方法や農家のコスト管理、PRのやり方も伝えられたら」と目を輝かせながら語ってくださいました。
2011年の東日本大震災、福島の農作物は、放射能・風評被害と想像を絶するほどの打撃を受けました。乗り越えた矢先の2021年、再び大きな地震が起きたときには、「また同じ思いをするのか」と大きな不安がよぎりましたが、同時にこの10年で作り上げた絆はそんな不安を優しく溶かしてくれました。「今は多くの人が心配してくれるようになった、声をかけてくれるようになった」。人のつながりの大事さ、ありがたさを安堵の表情で語ってくれました。
「公務員時代、60歳を過ぎたら悠々自適の隠居生活と考えていたけど、全然違うことになっちゃった。でも、米を作って売る中で多くの人に会い、海外で商売をするようなチャンスにまで恵まれたんだよね。なにが起こるかわからないけど、自分の軸がブレなければ大丈夫。出会いを大切に、動いていればまたつながる。お金は後からついてくると思うよ~」そう語る森藤さんの笑顔に、私たちも励まされ、身が引き締まる思いでした。
現在、森藤さんの米作りは息子さんが、農薬を使わず育てるお野菜は、奥様と娘さんが牽引してくれるようになったそうです。近頃マルシェでは、森藤さんのお店のPOPがかわいくなったと話題に。お野菜を作る娘さんが、自分は販売には行けないけれど、お客様によりおいしく食べてもらう為にと、作ってくれるようになったそうです。
農業の未来を見据え、家族とともに土づくり、米作り、人づくりに励むYEBISUマルシェの顔、森藤さんにぜひ、会いに来てくださいね。
【2021年新米】料理の鉄人も認めた、炭素循環農法コシヒカリ(白米2kg)

【2021年新米】料理の鉄人も認めた、炭素循環農法コシヒカリ(白米5kg)

【2021年新米】料理の鉄人も認めた、炭素循環農法コシヒカリ(白米10kg)

