べにや長谷川商店

在来種の豆の魅力を伝える

「豆といえばこのお店!」とすぐに名前が挙がる人気店、「べにや長谷川商店」。その三代目として活躍する長谷川清美さんは、昭和元年に北海道遠軽町で祖父が創業した乾物商・豆問屋を受け継ぐとともに、横浜で日本の在来種の豆を専門に扱う「べにやビス」をスタートし、知られざる豆の魅力を発信しています。

農家の人々が「おいしいから」「うちのおばあちゃんもお母さんも作ってきたから」というシンプルな理由で、家族が食べる分だけをほそぼそと作りつづけてきた在来種の豆。栽培が難しく品質が揃わないので大量生産には向かないけれど、「名前もない、高邁な思想もない、立派な能書きもない、そんな豆の中に、豆の素晴らしさが凝縮されているんです。」と長谷川さん。

べにや長谷川商店 長谷川清美さん おいしい・ばとん

日本各地には「あの人が作るのをやめたら、もう途絶えてしまう」という自家採種の豆がかろうじてまだあります。長谷川さんは農家に足を運んでそんな“幻の豆”を探しあて、実物に触れて、作り手から詳しく話を聞くフィールドワークを続けてきました。その成果は『べにや長谷川商店の豆図鑑』などのすばらしい著書に結実しています。

マルシェに並ぶ小さな豆たちは、農家に伝わる昔ながらの暮らしの風景、気候風土や経済条件に逆らわずに生きてきた土着の人間の知恵、そして豆の内部にみなぎる生命力をそっと語ってくれるようです。

「じつは実家の仕事には興味がなかった」

長谷川さんは最初から豆に情熱を注ぐ人生を選んだわけではありません。豆にまつわる子供時代の鮮烈な思い出といえば、「弟が大豆を鼻の穴に入れて、病院に担ぎこまれました。」という笑い話だそう。

北海道から上京した彼女が大学で専攻したのは人文地理学でした。集落を回り、生活している人々に聞き取り調査をおこなうという学問の手法は、現在の仕事にそのまま直結しているように思えますが、「当時は実家が何を営んでいたのかなんて、まったく関心がなかったんです。」と、長谷川さんは飾らない快活な口調で語ります。

「ちょうど男女雇用機会均等法が施行され、女性の社会進出が注目されるようになった時期で、卒業後はばりばり働こうと思って、女性総合職を積極的に登用する大手百貨店に入社しました。」

そんな彼女に大きな転機が訪れたのは、5年間働いた百貨店を退職し、臨床心理士をめざして大学院の受験準備をしていた時のこと。相模原のデパートで開かれた催事「遠軽物産展」に実家が出店し、「ヒマだったから(笑)」手伝いに駆り出されたのです。

「そのとき初めて実家の商品がどういうものかを知ったんです。こんなにおいしいものだったのか!って。最初はお客さまに敬遠されるけれど、食べ方を伝えて、味を知ってもらえれば喜ばれる。物産展でその一部始終を見ました。」

べにや長谷川商店 豆各種 おいしい・ばとん

催事の売り場に並べた遠軽町の「前川金時」は、昭和40年代に一度姿を消した幻の在来種。風味豊かでコクのある味わいが特徴ですが、1日目、お客さまは見慣れない豆を前にして、「煮方がわからない」と誰も手を伸ばしてくれませんでした。

2日目、母が『だまされたと思って、買って食べてみて』とお勧めしたら、『そんなに言うなら……』と購入してくださったお客さまがいて、次の日にその人が『おいしかったわ!』と、煮た豆をわざわざ売り場に持ってきてくださったんです。

そうしたら周りにいた人たちが集まってきて試食会が始まり、その日のうちに前川金時が完売! 父が長く扱ってきた豆ですが、関東地方でうちの豆をちゃんと売ったらいいかもしれない、と思いました。」

豆と人を愛し、愛される運命

それからの長谷川さんの歩みは、幸運も不運も含めてあたかも豆に導かれたかのようです。めざしていた大学院の受験は「全滅」。いっぽう、最初に豆を持ち込んだ料理研究家・栗原はるみさんは、お店で取り扱うことを快諾してくれました。これもひとつの縁でした。

また、かつて勤務していた百貨店のご縁を活用し、百貨店内のスーパーマーケットに試験的に置いてもらったところ、好評を博して全店舗に展開されるという順調ぶり。

「めくるカードが全部、私に『これをやれ』と言ってくるように感じました。」

そして2001年に在来種の豆の魅力を発信する「べにやビス」をスタート。父の長谷川清繁さんが取引先の農家におもむく際に同行し、聞き取りをするようになりました。

「『娘です』と言うと皆さんすごく喜んでくれます。そうして話を聞いているうちに、見たことのない豆がいろいろと出てくるんです。」

そんなコミュニケーションの土台を支えたのは、父の清繁さんが長年にわたって、取引先の農家の人々と単なる売買の関係を超えた信頼関係を築いていたこと。その信頼を崩さないことを大切にしたい、と長谷川さん。

べにや長谷川商店 島立 農家さんの畑 おいしい・ばとん

▲農家さんの畑

「かつて豆は北海道の開拓民たちにとって大切な食料でした。祖父の世代はお米といっしょに芋、蕎麦、そして豆を食べて育ったんです。在来種の豆の作り手は、ほぼ“農家のお嫁さん“たち。自分が食べるものを栽培する畑で、女性たちが育ててきました。そういう話から農家の女性たちの人生も見えてきます。」

豆と人の暮らしをみつめる視点は、やがて日本だけはなく世界にも向けられます。著書『べにや長谷川商店の豆料理』国内編に続いて、海外編の取材も敢行。合計65か国にも及ぶ豆食文化と豆料理のレシピを取材しながら、長谷川さんは現地の人々の暮らしにも着目してきました。

「豆を常食にしているのは高所得者層ではなく、一般の人たち。そこには、なるべく資源を無駄にしないで生きる暮らし、化学肥料や農薬は高価なので使わないという農業のかたちがあります。人間の知恵を凝縮した、土着の暮らしの力を感じますね。」

べにや長谷川商店 アフリカ ブルキナファ おいしい・ばとんソ 交流

アフリカ・ブルキナファソでの交流 

日本の食文化にもっと豆を

在来種の豆を扱う仕事は、まともな経営者であれば「これだけしか儲からないの?」と驚くようなもの、と長谷川さんは笑います。

「それでも在来種の豆を愛する人々が確実にいるので、お店を続けていきたいと思っています。課題は現在の日本の食文化に豆を根づかせること。ティーンエイジャーはお肉が好きで、豆が嫌いなんですよね。給食でも豆料理はよく残されてしまう。その打開策をずっと模索しています。」

べにや長谷川商店 豆皿 おいしい・ばとん

レシピ本や講座を通して豆料理を気軽に楽しむ方法を伝えるのもそのひとつです。面倒くさいと思われがちな豆料理ですが、きれいに煮なくていい、気構えなくていい、と長谷川さん。

「たとえば夜に30分ほど時間があったら、豆を水に漬けないですぐ煮て、30分で火を消してその晩は寝る。そうして翌朝、また30分ほど煮ればいいんです。厚手のお鍋でね。」

長谷川さんの『べにや長谷川商店の豆料理』のページを開けば、さらに無限に広がるおいしさのアレンジが紹介されています。ゆでてピクルスやマリネ、煮くずれてしまったらポタージュスープや豆ディップ、豆が残ったらキッシュや餃子などなど…。

これまでの人生で「あの時、ああすればよかった」と後悔することがほとんどない、と長谷川さん。一日を全力投球で生きているので、たとえ明日死んでも悔いはないと思えるのだそう。その力強い生き方は、もしかしたら豆の生命力と共通点があるのかもしれません。

 

■販売商品■
お豆おまかせセット
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お豆の缶詰いろいろセット
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手づくり豆腐キット
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豆料理スターターセット
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